衣装クリエイター

下着アパレルのデザイナー兼パタンナーでした。

衣装作家というべきなのか? いや、デザイナーなのか?クリエイターというべきなのか? 自分の仕事の呼び名が定まらないですが、、、、、 とりあえず、「衣装クリエイター」としておきます。 なんとなくニュアンスがつたわるかな? と思って。

などと今更、どうこう言っても、もうアパレル業界に入って30云年もたっています… 今更、ジタバタするなっ💧 

mint
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どーも、「Mint」と名乗っておりますわたし、衣装クリエイターであります。
mint
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少しだけここにきて自己紹介してみます。 

 

四国の高校を卒業後 大阪の専門学校へ、

今はもう必要なくなった、ある技術を習得に行ったんです。 CADにとってかわられた 「トレース技能検定1級」をとるために。 4月に入学して、みっちり習得し、10月には大半のクラスメートが合格しました。 そのまま、トレースの技術を生かして就職すると思いきや、 地元に戻って社会福祉協議会とやらに。。。w-わけがわからないまま 押し込まれてしまいました。 親類に。。。。(´;ω;`)  2年間 我慢に我慢の日々を過ごしましたが、もう身も心も限界となり、マックス振りきり 一念発起し、再び大阪へ

上田安子服飾専門学校 夜間服飾学科へ、 

貯めたお金を自分に投資した初めての経験です。 そりゃー身に入ります。 生活から、学業まですべて、自分のお金でやりくりしたのですから、真剣に勉強しました。  お察しのとおり、親、身内に反対されての上京ならぬ、上阪!!  睡眠時間は4時間くらいの日々でした。 朝から夕方までは、高速道路の設備設計をする会社でトレースしていました。  今おもえば、バブルのころだったのが幸いし、 3年間の夜間の専門学校からでも、京都に本社のある一部上場企業へ入社できました。

株式会社ワコールに入社

苦しかった生活から華やかなアパレルの企業に就職し、ここからアパレルの本業にかかわれることとなります。   ワコールはきっちり分業されていて、 ミシンを使うことはありませんでした。裁断すらしなかった。 企画とデザイン、パターンまで行ったら、縫製部隊に引き継ぎました。 上がってきたサンプルをモニターチェックし、会議し、商品化していきます。  その当時はそんなもんなんだなー と思っていました。 後から思えば、超温室育ち!!

結婚退社し、地元四国にUターン 

再就職しようも、大きなアパレル企業などあるはずもなく・・・・ 神戸に本社のある下着の縫製工場でデザイナー兼、パタンナー兼、サンプル制作兼の業務をすることになりました。 トリンプインターナショナル、キッドブルー、当初はレナウンのライセンスブランドも請負で行っていました。あとは、千趣会、ムトウ、セシールなどなど広く浅く。。。。。 トリンプとの仕事の場合は、東京に出向き、打合せ。 企画デザイナーからのブランディングを聞きこみ、持ち帰り、、、、 後日、デザイン提案し、サンプルを作り、見積りを出します。 条件が当てはまったら、量産へこぎつけられ、ここで初めて、会社(工場)の仕事がもらえます。 サンプルつくりだけでは、利益にはなりません。量産用のパターンや仕様書までを受け持ち、会社(工場)の生産担当者が資材を発注し、やっと、生産へ行きつきます。 相当な前投資(人件費、交通費など)が予想されますが、当時の工場は、それでも儲かっていたということでしょうね。 

わたしとしては、華やかなアパレルの会社から、下請け工場に移ったわけで、夢も希望もなえてしまってました。 ただ、苦労して夜間の洋裁学校で習った技術をなくすことはしたくなかったので、意地でもアパレルに食らいつきました。ただそれだけ、 

もし、今のような情報化の時代だったら、即、独立していたでしょう! 起業するなら若いほうが断然いい!! そう思えるからです。  当時は、自分が自信をもってできることで、社会の役に立てること!を売りに、会社勤めすることしか思いつかず、一択でした。  

新しい生活と、職場の環境ががらりと変わってしまいましたが、 家族ができ、守るべきものが増えることの喜びのほうが勝っていたので、前しか見てなかったという感じでした。

何しろ、中小企業というのは、縦仕事であり、代わりの人がいない、抜けることができないので、産後の帰省の時も ムトウにプレゼンする企画のマッピングを、寝ている息子の横で作っていたことを覚えています。

ムトウさんの企画でヒット商品も出せました。 キッドブルーさんでは、ブラジャーのパターンを担当し、定番商品になったものも数多くあり、憧れのブランドでもあったので、今でも誇りに思っています。

浅く、広く下着アパレルの下請けをしていた工場でしたが、2000年過ぎあたりから、アパレルサイドは、徐々に中国へシフトしていく状況になり、それは次第に濃厚になり、もう、もがいても、太刀打ちできない環境になりました。 工場は、神戸の本社を含め、すべて閉鎖、廃業することとなりました。

わたしにとっては、ピンチはチャンス、後押しともなり、私は自宅アトリエで独立することを選びました。 下着ではなく ダンスの衣装で…・

つづく・・・

ABOUT ME
mint
【ダンス衣装クリエイター】Mintです。  四国の田舎に暮らし、自宅アトリエで一人でコツコツダンス衣装を作っている 「カットソー専門、ひとりアパレル」です。 小さなニット生地とレースを使ったインナー作りや、創作した衣裳の工デザインから製作する過程や苦労話、カットソーの大胆かつ繊細な作り方をお伝えしていこうと思っています。プロフィール記事は↓ 【ダンス衣装クリエイター】mintです。  プロフィール記事 「Amazonのアソシエイトとして、当メディアは適格販売により収入を得ています。」  

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